野球、バスケットボール、プロレス…スポーツビジネスの世界を渡り歩いてきた五十嵐さんは #なんでミクシィに?07
ミクシィグループには、様々な経歴のメンバーが所属しています。それぞれの専門性やスキルを手に転職を決めた方々は、どのような経歴で、そしてなぜミクシィグループを選んだのでしょうか。
中途入社した方々に「転職を考えたきっかけ」「入社を決めた理由」「入社後に感じたこと」を聞く『なんでミクシィに?』シリーズ第7回目は、FC東京のイベント部に所属する五十嵐へのインタビューです。
五十嵐 聡(いからし さとし) ライブエクスペリエンス事業本部 フットボール事業部
2001年、新卒でゼビオ株式会社に入社。2007年、星野リゾートに転職し、「星のや 軽井沢」の支配人などを経て12年、西武ライオンズに入社。副球場長を務める。その後、横浜DeNAベイスターズにてセキュリティとホスピタリティの責任者を務め、運営と球場の演出を担当。2014年11月にはボールパーク部長に昇格。2018年1月より、川崎ブレイブサンダースのアリーナオペレーション部長も兼務。2020年1月、全日本プロレスの取締役副社長に就任。2021年9月、ミクシィへ入社。2022年1月よりFC東京へ出向し、イベント部長として場内場外のイベントの企画立案と実行を手掛ける。
本気でプロの野球選手を目指していた
━━五十嵐さんが、スポーツビジネスに関わろうと思ったきっかけを教えてください。
もともと高校・大学と野球部に所属し、プロを目指していたんです。甲子園は夏に2回出場しましたし、大学選手権に出たこともありました。本気で野球で生きていこうと打ち込んでいたのが原点ですね。就職時も野球に近い場所にいたいという希望がありましたが、当時はなかなか黒字運営の球団がなく、ましてや新卒の募集もありませんでした。それでもスポーツ業界の近くにいたいと選んだのが、東証一部上場の大手スポーツ用品の小売店。約5年ほど勤務した後、リゾートホテルの運営会社へ転職しました。
━━全くの異業界へ転職した理由は?
マネジメントに挑戦するハードルが高かったからです。私がいたスポーツ用品の小売店では、入社して5年経たないと店長試験を受けられないルールがありました。もっと早くマネジメントに携わりたい思いもありましたし、自信もあった。勤続年数の壁でやりたいことにチャレンジできないジレンマがあり、転職へ踏み切ることにしました。私が惹かれたリゾートホテルの運営会社は、支配人以上のポジションは立候補して、社員の投票で選ばれるという非常にユニークな企業文化を持った会社でした。
━━なるほど。
また当時、その会社では社内ビジネススクールを開設しており、一般的なビジネススクールで学ぶようなマーケティングやファイナンス、ロジカルシンキングなどを働きながら学ぶことができました。実はスポーツの小売店で働いていた頃から経営に興味があり、ビジネススクールに通っていたんです。自費で通うことで学びはありましたが、負担も大きい…と思っていました。この会社では無料で提供してくれる環境があり、当時の僕にしてはとても魅力的でした。
━━企業のカルチャーや教育体制に魅力を感じられたんですね。それはチャレンジでもある一方、スポーツ業界から離れるという側面もあるかと思いますが…。
確かにそうですね。でも、より早く自分が成長できるのであれば、異業種でも構わないと思っていました。いつかスポーツ業界に戻ることがあっても、不利はないなと考えたんです。
野球界初の試みを続けた結果、チケットが完売するまでに
━━リゾートホテルの支配人を経て、プロ野球チームに転職したわけですが、やはりスポーツ業界にいつか戻ろうと考えていたんですか。
そうですね。スポーツの世界に戻ろうと決めていて、携わるのであれば野球がいいなと思っていました。選択肢としてBCリーグ(独立リーグ)などもありましたが、業界のトップでチャレンジしたいと思っていたので、それならプロ野球だろうと。
━━球団の求人に応募されたんですね。
いえ。当時、求人はありませんでした。チームの試合を実際に見て、顧客満足度を上げるための企画書を40枚位作って、球団に送ってみたんです。リゾートホテルでの改善活動を通じて成功経験があったので、企画内容に自信はありました。自分の企画書に対して、社長が面白いと言って、会ってくれることになって。そこでさらに資料を作成してプレゼンテーションをした結果、「うちにこないか」とお声掛けいただきました。
━━その後、他の球団に転職されたと。
たまたま他球団に知り合いがいて、縁があって入社しました。ボールパークオペレーションという部署で、セキュリティとホスピタリティの責任者として、1軍2軍の球場運営をしていたんです。そのなかで社長に「エンタメは先天的な才能ではなくて、後天的に身に付くものだから挑戦してみろ」と言われて。試合の演出を任されることが決まり、がむしゃらに勉強しました。他球団の試合は全て見に行きましたし、毎年アメリカに行ってメジャーリーグやNBAの試合を見て吸収しました。
━━メジャーリーグやNBAも!?
アメリカにおけるスポーツのエンタメは、日本よりも一歩も二歩も先に行っていると思いました。でもあの要素をそのまま日本に持ってきても、日本人は喜ばない。日本風に、球団のファンにどうアレンジするべきかを常に考えながらインプットしていました。色んなことにチャレンジして成功体験を積むことができましたし、2018年からはバスケチームのアリーナオペレーション部長も兼務するようになり、バスケのエンタメの知見も得られたのは大きな収穫でした。そこからキャリアの軸が「スポーツ×エンターテイメント」になりました。観戦価値を高めて、“その日の思い出を10倍にする”のが、僕の得意分野だなと気づいたんです。
━━具体的にどんなことに取り組まれてきたんですか。
例えば試合後に花火を上げたり、新しいマスコットやアニメを作ったり。当時は“プロ野球界初”というものをどんどん仕掛けていきました。成功も失敗もいっぱいありましたが、施策を実施して満足せずに、シーズン中にブラッシュアップしながらエンタメを作り上げていった。2016年辺りからは、毎試合チケットが完売するまでになったんですよね。もちろんチームが強くなったという要因もありますが、エンタメの要素で後押しできたという自信も持てるようになりました。
━━その後、プロレスの世界に飛び込んだきっかけは?
きっかけは球団のスポンサーさんです。そのスポンサーさんはプロレス団体のスポンサーもしていて、「プロレスも大変だから知恵を出してくれないか」と言われ、一年くらい無料でコンサルティングしていました。するとオーナーから直々に「ぜひうちに入って改革してくれないか」と話をいただいて、「こんな機会はないな」と快諾しました。自分が経営者として、いち団体、いちクラブの舵取りをしていく醍醐味を、人生の中で味わってみたいなと思ったんですよね。
━━自分のバックボーンである野球界から、新たな世界へ飛び込んだわけですね。
2020年1月に入社し、巡業につきながらプロレスの知識を深めていた矢先、新型コロナウィルスが蔓延して、会場が借りられなくなりました。会場で試合ができないのであればと、無観客の配信マッチを増やし、グッズを販売するECサイトにも手を入れて、売上を取り戻そうと奔走したんです。それでもなんとか細々と食いつないでいる状態。ECの売上は10倍になりましたが、それでもチケット収入がないのが痛手でした。
━━そういったなかで、ミクシィへの転職を決めたと。
そもそも団体の存続すら厳しいという状況になってきた頃、転職サイトを通じて、ミクシィの人事の方からお声掛けいただき、転職を考えるようになりました。
━━当時、ミクシィがスポーツビジネスを展開していることは知っていましたか?
知っていました。千葉ジェッツやヤクルトのこと(※XFLAGがスポンサー契約を締結)も知っていたので、「ミクシィは本気でスポーツビジネスに着手するのかな」と心の片隅で思っていたんですね。取締役の奥田さんから「将来的に、野球やサッカーのチーム運営にも挑戦したい」と聞き、私はいつかスポーツチームの経営に携わりたいと思っていたので、もしかしたら参入1年目から関われるチャンスがあるんじゃないかと魅力を感じました。
━━ミクシィに入社してみて、印象はどうでしたか?
ミクシィは社員を一人の大人として扱う会社だと思っています。ルールでがんじがらめにしない、だからといって結果を出すことを放棄する人もいない。プロ意識を持って仕事に取り組んでいる人が多いですよね。
スポーツによる地域活性化、ビジネスとしてのエコサイクル確立へ
━━2022年1月からFC東京に出向されていますが、サッカーチームを任されることが決まったときの心境は?
これまで野球もバスケも、プロレスも経験してきたので、サッカーは競技性の特徴はあるにせよ、共通する要素があるだろうと。最初からいきなり派手なことをするのではなく、ちょっとずつ変えていけば盛り上がりは作れるだろうと思っていました。
━━不安はなかった?
はい。不安はなかったです。球団にいたときにバスケチームも担当することが決まったのですが、1~2試合見ただけで、「ここが試合のピークだからこういう演出がいい」とか「こういう音楽が合いそうだ」というように、試合開始前から試合終了までの演出が組み立てられたので。
━━スポーツビジネスの法則があるということですね。
そうです。人は自分が感情移入できることしか興味を持たないもの。自分もエンターテイメントに参加している実感が持てたり、例えばビールが半額になるなど何かの利益が享受されるときに、人は真剣にエンタメを見る、という知見を活かすことができたと思います。
━━国立競技場の改修後、J1リーグ初開催となったFC東京 vs G大阪戦では、花火や炎、ムービングライトなど特殊効果演出が大きな話題となりました。
あれも狙い通りでした。国立競技場の花火は成功しましたが、今年の8月9月には味の素スタジアムで「FIREWORKS NIGHT」という花火の演出を再現する予定です。この企画を通じて、2万人という観客予想が2万3000~5000人に増えるとしたら、その差はエンタメで勝ち取った動員と売上になりますよね。ファンには「このチームを応援していてよかった!」と思ってもらえるし、クラブの売上にも寄与できるので、まずはエンタメで一気にファンが増えたという実績を作りたいと考えています。
━━実際に色んなアイデアが水面下で動いているとか。
はい。ここでは詳しくお伝えできないのが残念ですが、大きなことを言うと「新しい公共の場を作りたい」と考えています。自分たちの会社だけでは実現できないので、調布市などの行政を巻き込んで、スタジアムを中心とした街づくりの一環として動き出しているところです。“サッカー界初”となる企画が私のこだわり。ファンのみならず地域のみなさんもワクワクするようなことを構想しています。
━━壮大なプロジェクトがどんな風に形になるのか楽しみです。今はとにかく結果を出すために全力投球されているんですね。
私自身、もっと大きな責任を担いたいと考えているので、早く実績を積んでイベント企画の地固めができたら、部署を他の人に受け渡したいと思っているんです。実は上司にも「この先ずっとイベント部署にいるつもりはありません」と伝えています。
━━どんな野心があるんですか?
新型コロナウィルスの蔓延を境に、スポーツビジネスにおける売上の立て方はガラッと変わりました。どのチームもいまだ模索している状態で、飛びぬけて成功しているチームもほとんどありません。この状態だと体力のある親会社に支えてもらわないと、日本のプロスポーツ産業は衰退してしまう。だからミクシィが取り組んでいるNFTなど、新たなスポーツビジネスの収益のエコサイクルを作ることが私の使命だと思っています。
━━NFTを始めとするITを活用していくと。
“スポーツ×DX”で新たな収益源の確保と、顧客への観戦価値への最大化を図ることが最大の目標です。またチャンスがあるならば野球の球団運営や、新規事業の立ち上げなどにも挑戦してみたいですね。それはミクシィだからこそ挑戦できるし、実現できることだと思っています。