ミクシィグループは、2018年4月より執行役員制度が立ち上がり、現在13名の執行役員がいます。それぞれの専門領域もしくは、事業担当領域の執行に責任を持ち、事業や組織の運営を担っています。各執行役員のキャリア、仕事観、事業ビジョン、組織体制などを赤裸々に語るコンテンツとしてシリーズでお伝えしていきます。
4回目は取締役執行役員の多留 幸祐。コンテンツプロバイダーの会社で初めてネットの世界に触れ、ライブドア(現LINE)で怒涛の日々を過ごしてきた多留はこれまでのキャリアを、「キャリアやスキルなんか意識したことはなかった。とにかく目の前のことをひた向きにやってきただけ」といいます。前編ではそんな激動のキャリアを中心に語ってくれました。
※後編はコチラ
バンドマン→営業→派遣社員…木村、慎ジュンホ氏との出会い
営業からスタート
大学卒業後は就職をせず、「バンドマンとしてプロを目指す」という名目で、バイトを掛け持ちしてバンド活動をしてました。“名目”といっているのは、結局は音楽活動もそこそこに、就職せずフラフラしていただけなんですよね。でも、それももちろん長くは続けられないので、2年ほどして就職活動を開始。とはいえ、スキルもなければ、新卒として就職もしていない。だから社会人の基礎を固めるためには営業がいいだろうって、深く考えずにリゾート関連の営業会社に就職しました。その会社が東京営業所を立ち上げるというタイミングでもありましたから、「オープニングメンバーだから、なんか良さそう」というノリで(笑)。苦い思い出として今でも覚えていますが、リストを基にテレアポをして訪問して…他にも、ポスティングやダイレクトメールなど、仕事内容はいわゆる、ザ・営業。驚くことに営業所にはPCが一つだけしかなく、社員で使いまわしなんてことはざら。営業に奔走していたのですが、会社の方針で1年で営業所を閉じることにが決まり、転職することになりました。
SNSって何?
紹介会社からは、当時、「これからはネットの時代がくる。ミクシィのようなSNSを展開している会社はどうか」とアドバイスを受け、とあるSNS関連の企業を紹介されました。当時は営業しかやったことがなく、「正直mixiは聞いたことがあるけど、そもそもSNSって何?」くらいの知識量でした。それでも、とにかく飛び込んでみることに。インターネットのサービスは面白そうだとシンプルに感じていましたから。派遣社員として働くことになる会社の面接官が、当時その会社でコンテンツディレクターをしていた現ミクシィ社代表の木村弘毅。「若いからいいんじゃない」と無事採用され、モバイルSNSの運用スタッフとして働くことになります。最初はコーディングや画像の制作、ページの制作などをしていました。転職前に学校に通い少しWeb制作を勉強していたので、制作を主に担当することになりました。
木村と一緒に働いていく中で気付いたのは、サービス作りの面白さですね。今だと怒られるかもしれませんが、毎日残業なんてのは当たり前。それでもサービスを作ることにのめり込んでいったので、とにかく無我夢中でした。また、木村はサービスの隅々まで気を配って作るタイプで、その姿勢は大きな学びになりました。その後コンテンツの改善や機能追加など、サービス企画寄りの仕事にシフトしていきます。木村と二人三脚で進めていくケースが多かったのですが、徐々にセンスや功績を認められ「○○のコミュニティの機能を改善してみないか」と、プロジェクトを任されるようになっていったのは嬉しかったですね。
木村と数年働いたあと、フリーとして知人に紹介された仕事を請け負い、こなしていた時期を経て、ライブドア(現LINE)へ転職します。これは、当時一緒に働いていたメンバーから「自分がもし多留さんの若さだったらライブドアにチャレンジするね」と言われたことがきっかけです。というのも「もっともっとスキルアップしたい。圧倒的な経験値を積みたい」と漠然と考えていた背景があったからです。
成長が止まった
ライブドアに入社してからは、Webディレクターとしてサービス企画やグループメンバーのマネジメントなどでステップアップしていきます。上長からの信頼があり、自由にのびのびとサービス制作やマネジメントをしていました。が、今思うと私自身の成長が止まったときでもありました。というのも、上長との信頼関係を構築し自由にやっていたことで、真剣にサービスを流行らせるように考えていなかったからだと思います。当時はそれなりに真剣にやっていたつもりですが、今振り返ってみるとそうかなと。向き合い方が足らなかったといいますか、そういう状況だと担当していたサービスが成長していくことはありません。ライブドアで担当していた新規サービスも縮小やクローズになり、徐々に私の居場所が少なくなっていった気がします。その頃、ライブドア、NHN Japan、ネイバージャパンが統合を始め、社内では、急成長していたサービス「LINE」を中心にしていく方針になり、リソースを注力していくことになりました。
次に与えられたミッションは、「LINE」関連のサービスの立ち上げ。それも、爆発的にサービスを伸ばさないといけないというミッションでした。当時「LINE」関連のサービスを展開する場合、すべての企画について慎さん(現LINE代表取締役CWO 慎ジュンホ氏 )の承認が必要でした。慎さんがまた手厳しい方でして(苦笑)。慎さんはエンジニア出身なんですが、サービスや企画の弱点を見つけるのが非常に得意な方で、企画資料をめくるたびに鋭い質問を飛ばし、プレゼンそのものが、ものの数分で打ち切られることもあるほど。私のプレゼンチャンスでは、何とか数十分もたせることができましたけど、これが毎週続くわけです。たまに期限に合わせて整えた企画を持って行くと、コテンパンにやられる。痺れる日々でしたね。結局私が辞めるまで、ありがたいことに毎週のごとく慎さんに提案するチャンスをいただけた経験は大きかったと思います。
というのも、慎さんの方針は『企画の穴を塞ぎ、企画者が絶対いける、と自信を持てるまで企画を洗練させていく』というものでした。上長を納得させる企画ではなくて、企画者が本当に納得いく自信をもって世に出せる企画か、今だとその視点を理解できます。慎さんとの対話は大変でしたが、私のステップアップのための財産になりました。
成長を実感
慎さんとの出会いは、私の成長を飛躍させたといっても過言ではありません。例えば、私の作った企画書や事業計画書をビフォーアフターで比較すると、一年後には全く違うものになっていましたから。恥ずかしい限りですが、当初の資料は考えが上っ面だけで根拠も浅いものでしたが、後半はユーザーの心理や本質を突いており、サービス成長が見込めるものになっています。見返すと違いが一目瞭然でしたね。
このような色々な経験を通して個人の成長を実感しつつも、今振り返ると残念だったと反省することもあります。本来は企画手法や考え方の学びを部下やメンバーにフィードバックし、組織としてアップデートする必要があります。しかし、慎さんとのやり取りの中で、高速のインプットとアウトプットに夢中になり、メンバーと密に話す余裕もなく、自己完結してしまった。メンバーの企画に耳を傾けることも減り、信頼関係が崩れてしまうこともありました。チームワーク・組織の成長という意味で弊害を出してしまったのは、大きな反省でもあります。
木村ともう一度働きたい
LINEでの日々は成長を実感しつつも、担当したサービスが爆発的に成長したかといわれるとイマイチだったこともあり、また、会社の中における当時の自分の立場を考えると、別の会社で新しくチャレンジすることに興味が湧いてきました。ただ、一時の感情や思いつきで転職をしたくなかったので、しっかりステップアップできるように時間をかけました。LINEでは新規サービスの構想に着手しつつも、外部の色々な方と毎週のように飲みに行き、情報交換を開始。その期間の中で、木村とは2度食事をしました。1度目は「モンスターストライク(以下モンスト)」が生まれたタイミング、2度目はモンストが拡大している最中。新天地を決めるのになかなか悩んでいたのですが、「マネージャーがいないんだ。うちでやってくれないか?」と誘われ、単純に木村ともう一度働きたい想いで、ミクシィへのジョインを決めます。転職を決意してから約1年後の2014年2月の出来事でした。
当時の記憶はない
入社したのは、モンストのゲーム運営部(当初はゲーム企画部)。エンジニア、デザイナーなど30名前後のモンストのプロジェクトに、チームを管理するプロジェクトマネージャーとしてジョインします。木村が管理体制や運用フローのルールを作ろうとしていましたから、私が実行部隊として奔走。しかし、私の入社直後の2月、今まで順調に右肩上がりで伸びていたKPIが止まり、さらに下降傾向を見せはじめ、現場は不安に包まれ始めました。数字がついてこないことで、今までは気にしてこなかったことさえ気になりだします。今後のサービス運営方針が定まっていない、新参者の私が取り仕切っていく現場からの違和感…など、複数の悪条件が重なっている状況で。今振り返ってみると、現場は過去最高に荒れていました。そんな状況の中、木村はモンストの海外展開やメディアミックスなどの取り組みを広げようとしていた時期でもあり、ゲーム企画の会議に参加できないことも多くなり、代わりとして私に決裁や判断が回ってくることが多くなりました。会議では心の叫びや汚い言葉も飛び交ってましたし、その状況と向き合うのは非常に難しかったですが、「自分の立場というのも今はあってないようなものだし上手くいかなければそれはそれでしょうがない」そう開き直って現場とぶつかりあって議論し、悪い要素を全てさらけ出していきました。
そこで、今のこの組織に必要なものが見えてきました。これから先のサービスの方針とロードマップを明確にし、チーム全体で共通の認識を持ち、結果はどうであれチームで共通の目標に向かって行動する――それが必要だと思いました。忙しい木村にも、その作成やコミュニケーションに時間を使ってもらい、協業パートナーも含めた方針の浸透については、協業パートナーの長である岡本吉起さんのご協力により社員に号令をかけていただき、チームの向かうべき方向の共通認識を持つことができました。結果、膿を出し切り、昔以上に運営体制も強固になったと思っています。そのあとの数字については、マスプロモーションが始まったこともあり、再び右肩上がりの傾向に戻り、そのあとも長期に渡って伸び続け、当初立てていた年内の計画の数字を大きく上回る結果となりました。入社して怒涛の一ヶ月でしたが、濃厚な時間を過ごせたからこそ、チームメンバーとの距離を最速で縮められて信頼関係もできたと思いますし、この過酷な状況があったからこそ、今があります。大きな成果には、タイミングや運も大いに関係しているので何が正解だったかは結局はわかりませんが、本当にこの1~2ヶ月が、入社して一番印象に残っている出来事です。
それからモンストのプロデューサーとして、モンスト事業部の部長として日々走ってきました。2017年6月に取締役、2018年3月に執行役員に就任し、現在ではデジタルエンターテインメント事業本部にて新規事業のサービス設計を業務領域にしています。飽きっぽい性格なので、新しいステージで新しいチャレンジができるのはシンプルに楽しいですね。
個人としてのキャリア
キャリアなんて考えたことはない、でも少し背伸びをする
私のこれまでのキャリアをご覧いただくとわかるかと思いますが、計画的なキャリア設計をしていたわけではありません。ただ、一つだけ言えるのは、「もっと自分はできるはず」と少し背伸びをしていること。目の前のちょっと難しそうな課題に積極的にチャレンジする。達成できたら少し満足して、次の課題を探す。これの繰り返し。もっと本質的にいうと、ただ単に飽きっぽくて、飽きている状態を継続することに耐えられなくて行動を起こしてしまう、それの繰り返しだともいえます(笑)。時に未踏の領域へのチャレンジがありますが、それは自分の中で障害にはならない、と考えています。それは、どんな領域でも必ずユーザーがいて、その心理をしっかり理解すればなんとかなる、という根本原理は変わらないからです。また、これは性格なのかもしれませんが、失敗を気にしませんし、仮に大失敗してもお酒を飲んで寝たらすっきりしてしまうので(笑)。あとは、目の前のことをがむしゃらにやっていくだけ。地味ですけど、案外キャリアを磨くという視点なら、余計な思考が不要。シンプルなので、効果的だったのかもしれません。だからずっと続けてこられたのかもですね。
※本文中の組織名・所属・役職はインタビュー時点のものです