ミクシィグループで活躍する取締役や執行役員の、キャリア、仕事観、事業ビジョン、組織体制などを赤裸々に語るコンテンツとして紹介するシリーズ。
今回のインタビューは、ミクシィグループの千葉ジェッツふなばしの代表取締役社長 田村 征也。田村は2009年に新卒でミクシィに入社。2018年には執行役員、2020年には千葉ジェッツふなばし(以下千葉ジェッツ)の代表取締役社長に就任。2021年6月には千葉ジェッツがリーグ優勝を遂げ、各方面から熱い視線を集めています。そんな田村は、大学時代クリエイターを目指し、サービスプランナーとして入社するも、本人の意向とは異なるキャリアを歩んできたといいます。前編では、これまで歩んできた紆余曲折の経歴について語ってもらいました。
※後編はコチラ
私は大学時代、デザインや映像の勉強をしていました。そこで気づいたのが、クリエイティブの世界はとても下積みが長いということ。例えば、映画監督の中には50代でデビューした人もいるほどです。将来はクリエイティブの世界で働きたいと思っていましたが、「その下積み期間に耐えてまでその世界で働きたいのか?」と自問自答をしていました。それと同時に、インターネットにとても興味を持っていました。当時は、Youtubeやニコニコ動画が出たばかりの頃。インターネットならすぐ自分の名前で作品が出せる。そんな時代が来たんだと大きな衝撃を受けたのを覚えています。そこからWeb企業に興味を持ち始めました。色々と調べていく中、魅力を感じたのはSNSというサービス。動画サービスは確かに新しいサービスではありましたが、“動画を見る”という体験はもともとテレビでも出来ていたので、当時はそれほど革新的な驚きはありませんでした。一方、SNSはネット上でクローズドな空間を作って、自分の本名や顔写真を出してコミュニケーションを取るというもの。そんなサービスは今までになく、とても新鮮でした。実際にSNSで中学や高校時代の友達とつながったことで、この体験は全く新しい価値だと感じたんです。
これからSNS以外にも新しい価値を持ったサービスは生まれるだろう。自分の手で面白いサービスを生み出してみたい。そんな思いが募り、ミクシィへの入社を志望しました。ミクシィを選んだのは、テック企業の最先端というイメージがあったからです。モノづくりの観点から見ても、ミクシィならこれまでの概念をぶち壊すものを作るイメージがあったので、さらに新しいものを生み出せる環境なんじゃないかと漠然と感じていました。
サービスプランナーとして新卒で入社した私は、「新しいサービスを作るぞ!」と意気込んでいました。研修が終了し、いざ現場配属となったときに言われたのが「総合職は全員営業チームへ」という一言。まさに青天の霹靂(笑)。その理由は、まず営業職を通じてビジネススキルを身に付けてほしいという会社の意向があったからだそうです。寝耳に水状態ではありましたが、与えられた機会でしっかり結果を出そうと気持ちを切り替えることにしました。というのも、はじめに営業を経験したほうが、後々にビジネス的なアドバンテージが出てくるかもしれないし、もしかしたらそんなに悪くない選択肢かもしれないと思えたからです。まずは自分の幅を広げていこう、そして営業で一番になって結果を出してやろうという意欲につながりました。
はじめに担当することになったのは、SNS『mixi』の広告営業。営業は意外と面白かったです。クライアントが何に価値を見出して私たちにお金を掛けてくれるのか、を理解できたのは大きな収穫でした。この営業の仕事は、一年半ほど経験しました。今振り返ってみても、この時期は無我夢中でしたね。寝る間を惜しんで働くという貴重な経験を一年目で味わえたのは、自分の糧になったと思います。そういう経験があるからこそ、ある程度の困難でも乗り越えられるようになったのかなと。当時は、上司やクライアントの無茶ぶりに応えられる人が仕事のできる人だと思っていました。得意じゃないことでも前向きに取り組んでいれば、いつしか周りから求められるようになる、と信じていたから。実際に何でも挑戦してきた結果、自分の名前が広まり「うちのチームに来ないか」と、新しいチャンスをいただくことができ、その思いは確信につながりました。
声を掛けてくれたのは嬉しかったのですが、正直、異動したいと思っていなかったんです。というのも、営業のナンバーワンになっていなかったから。やりきれていない自覚があったので、一度はお断りしました。…が、当時の副社長から直々に説得を受け、問答無用で異動することに(笑)。今思えば、私に大きな期待を掛けてくれていたんだろうと思います。次に担当した仕事は、サードパーティ向けソーシャルプラットフォーム『mixi Platform』で展開する、ゲーム開発・運用のコンサルティングです。矢継ぎ早にアプリが生まれ、人気のある/なしが顕著になっていきました。コンサル担当が外部パートナーにアプリの企画を提案して開発してもらい、一緒に盛り上げていくというプロジェクトが立ち上がったりもしました。
2012年後半から『モンスターストライク(以下『モンスト』)』が生まれるまでの期間は、会社が苦しい時代でした。当時のミクシィの主力事業はSNSの『mixi』。ビジネスモデルは広告と課金。その中心としてソーシャルゲームやSNS内でのコミュニケーションを活性化する『mixiアプリ』を運営していました。そこからゲームだけを切り取って、『mixiゲーム』というオンラインゲームプラットフォームを作ろうという計画が持ち上がります。SNS『mixi』のUUが下がり、徐々に広告収入も下降していたので、アプリの課金で減少分を補おうという方針が打ち出されました。その中で私は、パートナー開拓チームのリーダーとして職務を行なっていました。
さらに、2013年の頭には会社の経営が厳しくなり始めます。この窮地をどう脱するかということにみな頭を悩ませていました。そんな中、私は「プラットフォーム統合プロジェクト」を担当することになりました。このプロジェクトは、パートナーもしくは『mixi』どちらかのプラットフォームにゲームをリリースすれば、両方のプラットフォームで展開できる仕組みを構築するというもの。ようやく完成したものの、売上は想定の10分の1程度。上司から「次の手を考えろ」と言われましたが、何をしても業績に貢献できることはなく、メンタル的にも追い詰められノイローゼ気味に…。そして2013年度、ミクシィは初の赤字決算を出してしまいます。その頃は、自分たちのせいで会社が潰れるのではないかと、常に恐怖を覚えていました。
2013年秋には『モンスト』がリリースされることになります。そこでアプリのリリースに伴うプロモーションを担当してほしいと私に声が掛かりました。iOS版の『モンスト』がサイレントリリースされた9月末。全く広告を打っていないのに、1日数千人規模でユーザーが自然と増えていきます。それまで、どんな風にアプリをリリースして、どうプロモーションをして集客しようかと綿密にプランニングしていたので、これは嬉しい誤算でした。初めて広告を打ったのは11月のこと。どんどんユーザーが流入していたところに、さらにバイラルで増加していく機会を増やしたので、社内からは「アプリが落ちるので広告を止めてほしい」という状況に(苦笑)。Android版の事前登録では当時、1万人のユーザーがいれば成功と言われるなか、『モンスト』には数万人ものユーザーが事前登録をしてくれました。12月になるとAndroid版がリリースされ、事前登録を募っていたユーザーが入ってきてさらにUUが急激に跳ね上がりました。一気に100万ダウンロード、そこから倍々にダウンロード数が増えていきます。
初めてTVCMを打つことになったのは、3月のことです。なんと、その広告予算は6億円。何が何でもクオリティの高いクリエイティブに仕上げないと、と気合も入りました。『モンスト』の大きな特徴は、育てたモンスターを自分の指で引っ張って敵モンスターに当てて倒すところと、4人でマルチプレイができるところです。その特徴を伝えるべく、リアルなプレイ画面を撮影することになりました。しかし当時はスマホのキャプチャー機能がなく、スクリーンショットを取るのも一苦労。4つのデバイスを並べて一つひとつ操作をして…。当時はWi‐Fi接続も今ほど精度が高くなく、途中で途切れて一人いなくなってしまうこともザラ。画像を後ではめ込み合成するという発想もなかったので、何度も何度も撮り直し。試行錯誤の末、入稿の締め切り前日の夜中に、どうにか撮り終えることができたんです。
でも後で見直してみたら、解像度が低すぎてガサガサの画像になっていて、「6億円を使って、こんなクオリティの低い画像を流すのか」と愕然としました。真夜中に帰宅して仮眠を取って再度出社し、「今日一日足掻いてみて、ダメだったら考え直してみよう」と気持ちを切り替えて再チャレンジ。結局、その日一日をかけて試行錯誤した結果、上手くいきました。『モンスト』を作ったスーパーエンジニアに相談したところ、次のターンが来る前に指を置いておくとモンスターが移動するというギミックを開発してくれたんです。そのおかげで劇的にキャプチャが撮りやすくなり、無事にいい絵を撮ることができました。3月に流したTVCMが機転となって、見事『モンスト』が指数関数の上昇気流に乗ります。200万ダウンロードから、300万、400万ダウンロードに跳ね、会社の経営がV字回復を遂げました。この6億円の広告費は、ミクシィの賭けだったと思います。
当時の『モンスト』のプロモーションで禁止にしていたことがあります。それは、インセンティブでユーザー獲得をしない、ということ。例えば、他社では「限定アイテムがもらえる」「◯◯キャラがもらえる」というインセンティブでユーザーを獲得するのが主流でした。正直、そっちのほうがユーザーの獲得効率は良いかもしれない。ゲームに飛べば無料でアイテムやキャラクターを手に入れられるので、ユーザーに魅力を感じてもらいやすい。でも私があえてインセンティブを打ち出さなかったのは、広告展開後、瞬間的にユーザーが増えても、アイテムをもらった後にプレイしなくなるだろうと思ったからです。そこで私がTVCMのクリエイティブで伝えたかったのは、友人や気の合う仲間とワイワイしながら楽しんでいる様子。それによって「一緒にモンストやろうぜ」という空気を醸成し、ユーザーがユーザーを呼ぶクチコミの仕組みにつなげていこうと思いました。そうすることで継続的にライフタイムバリューが伸びるということを予想していたので、当時のソーシャルゲーム業界とは一線を画す概念のCMだったと思います。
インパクトさえ与えられれば、『モンスト』を調べるきっかけになり、ダウンロードしてもらえる。一人のユーザーがプレイしてくれたら、友達や家族などを誘ってクチコミで増えていく状態を作ることができるだろう。そう思って、TVCMでは『モンスターストライク』というプロダクト名と、特徴的な4人で遊ぶスタイルをシンプルに伝えました。CMなのにゲーム画面のカットがほとんどありません。ある番組の演出かと思ったら『モンスト』のCMだった、というインパクトのあるCMです。「あの変なCM見た?」「『モンスト』でしょ?」「変だよね」と話題に上がるようなクリエイティブを目指していました。年末に2回目となるTVCMを打った際の広告費はなんと60億円。自分なりに話題になるTVCMの型を見つけることができましたし、実際に異端であることが市場にポジティブに捉えてもらえて、ダウンロード数がさらに急拡大していきました。
正直、『モンスト』が3周年を迎えるまでは、人気コンテンツの実感はなかったですね。そのときの心境としては、上手くいっている状態が明日にでも終わってしまうのではないかという恐怖感でいっぱいでした。『mixiアプリ』『mixiゲーム』時代に、たくさんのソーシャルゲームを見てきていたので、アプリの寿命を良く知っていたからです。人気が出たあとに急激に下がっていくゲームも数多く見てきました。ただ、ユーザーの人気を獲得するために必要な施策も分かっていたので、割と迷いなくマーケティングを実行できたと思います。だから、いい意味であぐらをかくことがなかったんですよね。そして3年かかってようやく窮地から脱することができました。当時のミクシィにとってたった一つの希望の光だったんですよ、『モンスト』は。
▲『モンスト』フェスティバル2015のキービジュアル
2015年8月には、初となるイベントを開催。それが幕張メッセで開催された「『モンスト』フェスティバル2015」です。これまで何百万というユーザーを獲得し、順風満帆のように見えていたかもしれませんが、大変なところもありました。初めてそのボロがでたのがこのイベントです。「『モンスト』フェスティバル2015」では、予想していた来場者数を大きく上回り、会場が大混乱に。来場者が少ないことを恐れ集客に力を入れた結果、「『モンスト』フェスティバル2015」では、会場の収容可能人員数を大きく上回る方にお越しいただき、すべての方が会場に入れない事態になりました。楽しみに来場いただいた多くのユーザーの方々に多大なご迷惑をおかけしたと、今でも反省しています。しかしながら『モンスト』の持つパワーやポテンシャルをまざまざと感じた光景でもありました。
▲2018年の「XFLAG PARK」
次回こそは絶対に安心・安全で楽しめるイベントを開催したいと強く誓い、コンセプトも新たに誕生したのが「XFLAG PARK」です。前回の反省点を踏まえた結果、「XFLAG PARK」は大成功を収めました。翌年もチケットは完売。2018年から入場を有料化したのですが、それでもチケットはほぼ完売。毎年2日間で全国から約4万人が集まるイベントになりました。そして、コロナ禍である2020年と2021年はオンラインで継続開催するまでになりました。単なるゲームフェスで終わらせない、サーカスなどのコンテンツとモンストのIPを融合させ、モンストを知らなくても楽しめるし、モンストを知っているともっと楽しめるというコンセプトが幅広くモンストファンに受け入れられ、最終的にお客様がお金を出しても参加したいと思えるような価値あるイベントに成長できたのは感慨深いですね。こんな一大イベントに成長できたのも、失敗の経験があったからこそだと思っています。
2016年7月には、エックスフラッグスタジオ本部 XFLAG ENTERTAINMENT(現ライブエクスペリエンス事業本部)に異動しました。この部門は、イベント、アニメ、チケット、MDのグッズ収入、ライセンス部門が集約された組織。XFLAG経済圏という形で、主に『モンスト』IPとしてビジネスを大きくすることを目的に立ち上がりました。『モンスト』の成長と同じように、自分の役職も上がっていきました。2018年には執行役員としてライブエクスペリエンス事業本部の本部長に就任。その後、スポーツ事業が誕生し、スポーツ領域も見てほしいと依頼を受けました。そのときに、ゲームは同じタイトルを続けていると、いつか飽きられることもあるかもしれないけれど、スポーツは何十年、何百年と競技の歴史があるのにも関わらず、全然飽きられることがない。なぜなら、そこには必ずドラマがあるから。スポーツは最強のコンテンツだと感じましたね。スポーツをエンタメ化することでユーザーを楽しませるところは、これまでの自分の経験が活かせそうだと思いました。
会社の方針としてスポーツ領域に注力していくことが決定し、ご縁のあった『千葉ジェッツふなばし』のスポンサーになったことで、よりスポーツビジネスへと意識がシフトしました。
2020年の春頃、千葉ジェッツの代表になってほしいという話がありました。千葉ジェッツのスポンサーになってから当時の代表の間近でサポートをしていたこともあり、その大変さを実感していたので、正直、戸惑いましたね。でも、いち観客として千葉ジェッツの試合を見ていて、すごく魅力的なクラブだなと感じていました。また千葉ジェッツの運営チームの方々と交流する中で、お互いに一生懸命チームを盛り上げていきたい気持ちはあれど、足並みが揃っていない感じがあって、とてももったいない印象を受けていました。チケットなどの電子化といったDXや、それに伴うCRMに関する知識や、SNSやYouTubeを活かしたメディアミックス、興行を盛り上げるための仕組みづくりなど、自分がこれまで培ってきた知見を活かすことで、千葉ジェッツをこれまで以上に盛り上げ、運営チームを一つにしていけるのではないかと思えたので、一念発起で引き受けることにしました。
その覚悟を決めてからまず最初のアクションは、船橋市への引っ越しです。代表は会社の顔となる存在。その覚悟をチームメンバー、ブースター(ファン・サポーター)、スポンサー、千葉ジェッツに関わる全ての皆様に伝えるために、家族を連れて船橋市へ。地域を知り、街を感じるところから始めるべきだと思ったからです。代表に就任して一年目、幸運にも千葉ジェッツは2021年6月のBリーグチャンピオンシップにてファイナルを制し、悲願の初優勝を勝ち取りました。この優勝を期に、このまま最強のチームとして成長し、全国に知名度を高めていきたい、と思いも新たになりました。
※後編は「千葉ジェッツふなばし」のこれからや、スポーツ事業の戦略について紹介します。