ミクシルでは、新卒スタッフの成長の軌跡をシリーズでお伝えしています。どのような成功体験や失敗体験を経験し、どんな風に成長したのか?スキルやマインドの成長に大きく役立ったターニングポイントとは?について迫ります。
今回は、2018年4月に入社した萩原にインタビューしました。サロンスタッフ予約アプリ『minimo』や新感覚スポーツベッティングサービス『TIPSTAR』のシステム開発・運用に従事し、3年目にはグループのマネージャーに就任した萩原。さまざまな挫折や修行、先輩からの𠮟咤激励が糧となり、今の自分がいると語ります。
「自分はこれしかできません」と言っていられなかった
━━萩原さんが入社当時に抱いていたキャリアイメージはどういうものでしたか?
正直、具体的なキャリアイメージは持っていませんでした。ただ一つ明確に持っていたのは「色んな人の生活に密着するサービスを作りたい」という思い。そういった仕事やプロダクト・サービスに関われるのであれば、職種はエンジニアでなくてもいいと思っていました。エンジニアとして一生頑張っていくというより、自分が本当に共感できるプロダクト・サービスに関わって、成長させていくことに幅広く関わっていきたいとずっと思っていましたし、その思いは今も変わりません。
━━キャリアチェンジもいとわないという思いですね。
そうですね。全然問題なかったです。『minimo』に所属しているとき、Web版のプロダクトのエンジニアとして働いていましたが、Web版プロダクトをどうグロースさせていくかという戦略立案から、施策へ落として、実際実装・検証し、その後改善していく、という全てのプロセスに、いわばプロダクトオーナーという形で関わったのは貴重な経験だったと思います。
━━そのキャリアパスのイメージは、もともと上長にも伝えていたんですか?
はい。自分の業務領域に制限を設けるのがあまり好きではなくて、「今自分にできることってなんだろう?」ということを考えて、それに沿って自分ができる影響範囲の中でしっかり進めていく仕事がしたかったので、あえて仕事の範囲を定めたくないと伝えていました。また、僕はハイレベルなエンジニアリング能力があるわけではないので、サービスを大きくするところにコミットしたいという考えでした。
━━その考えの背景には、どのような思いがあったのですか?
僕は高専を卒業して入社したので、メンバーの中でも最年少でしたし、焦りもたくさんあったんですよ。周りは大学で研究に打ち込んでいた人も多いし、大学院でエンジニアリングの技術を高めた人も多い。そうなったときに、「自分はこれしかできません」と言っていられないなと。自分が今できることに取り組んで、自分の存在意義をしっかり周りに認識してもらう必要があるし、自分自身も認識しないと仕事をしている意味がなくなってしまうと思っていました。
━━入社1~2年目を振り返るといかがですか?
手探りでしたね。特に入社して1~2ヵ月は自分を強く見せようとか、先輩から認められたいという思いもあって、先輩の企画に対して「この企画はイケてなくないですか?」なんて生意気なことを言ったりしていました。
━━なかなかヤンチャでしたね(笑)。
「そういうコミュニケーションの仕方だと、君とは一生仕事をしたくない。言い方には気をつけなさい」と説教をしてくれた先輩がいて、そのとき改めて修行しなおそうという気持ちになりました。それが2018年6月半ばのことです。
━━鮮明に覚えてるわけですね!
普段怒らない先輩に怒られたというのが、インパクト大の出来事だったので(笑)。かなり早い段階で指摘してもらえたので、逆にその出来事がなかったら、口だけの人間になっていただろうなと思いますね。
異動後の部署で、自分の技術力のなさに愕然
━━その後、『TIPSTAR』に異動したわけですね。
異動の経緯は、取締役の村瀬さんから声を掛けていただいたのがきっかけです。自分ができることは何でもやりたいと思っている一方で、エンジニアとしての軸をしっかり持っていないと何の強みもない中途半端な人間になってしまうと感じていたので、「エンジニアとしての修行を積みたい」という思いから異動を決めました。実際異動してみると、使っている技術も開発スタイルもカルチャーも全く違う。それを吸収するのが本当に大変で、自分が書いたコードに数十個ものレビューコメントがついて…(笑)。「エンジニアとして自分はまだまだなんだ」と実感し、メンタル的に厳しい時期でしたね。
━━けっこう落ち込んだ…?
まあまあ悩みましたね。でも周りの人たちが良い人ばかりだったので、そこに助けられていました。レビューが数十個ついても、「それは人格や技術力の否定ではなくて、より良いものを作っていくためのレビューだよ」と言ってくれていたので。異動の目的を技術の修行だと明確に定義していたからこそ踏ん張れたと思います。ここでしっかり経験を積めば、新規事業を立ち上げる際の一人目のエンジニアとしてジョインすることもできるだろうし、その後も広い視野を持ってさらにサービスを大きくしていく役割も担えるだろうと思いました。サービス拡大の手段として開発力の向上を捉えていたからこそ、修行として頑張れた気がします。
━━ある意味、自分が望んでいた環境だったわけですね。
そのとき叩き上げてもらったおかげで、自分よりレベルの高いエンジニアと対等な目線で話せるようにもなりました。またそこでは、周りからの信頼も得ることができたと思っています。今、色々なことを任せてもらえたり、色々な場で発言を求められるようになってきたのは、自分のことを信頼してもらえているからこそ。技術的な成長ももちろんですが、色んな人から信頼してもらうための期間だったんだろうなという風に今は捉えています。
ゆくゆくはプロダクト責任者の“右腕”に
━━今のご自身の課題はありますか?
僕は組織として課題に立ち向かっていく力、そこを率いていく力がまだまだ足りないと感じています。チームの中には「自分の仕事はこれだ」と思っている人もいるし、「自分の仕事以外のことをなぜやらなければいけないのか」と思っているメンバーもたくさんいると思います。それは全く悪いことではなくて、スペシャリストとして組織に貢献する方法もOKだと考えています。その一方で、そういうメンバーとどう協力しながらサービスをより良くしていくべきかはまだ答えが見えていないんです。
自分の理想とする組織は、自分の専門性を持って、他の職種と一緒にコラボレーションすることでいいモノを作っていくチーム。そういう風に捉えてくれるメンバーが増えてくれるといいなと思いつつも、それを実現するにはどうしたらいいのかはもっと学んでいかないといけないと思っています。
━━これから担っていきたいポジションやトライしたいことはありますか?
将来的には、心底自分が共感できるプロダクトにおいて、プロダクト・サービス作りを推進していく人の右腕になりたいです。
━━右腕、ですか?
僕自身はそこまでビジョナリーなタイプではなくて、ビジョンを具体化したり、課題を咀嚼していったりすることが好きだなと気づいたので、そこを担える人間になりたいと思っています。そのためには、ユーザーからの評価に対する改善、KPI、組織体制、目標の設定方法、マーケ戦略など、サービス運営における幅広い知識や技術、能力が必要になると感じているので、まだまだ自分の領域を広げる必要があるなと。エンジニアリングについても引き続き伸ばしていきつつ、更に領域を広げていくところを頑張りたいです。
━━これは中期的な目標のイメージですか。
そうですね。30代になる頃には、という目標です。30代になる頃には、お金のためではなく、サービスのために働きたいと思っています。実際にそうなるかはさておき、それくらいの気持ちで20代は色々なことを吸収してアウトプットし、武器を増やしていきたいと考えています。
━━ちなみに萩原さんの目標とするロールモデルは?
身近で背中を追いかけているのは、部長の川又さんですね。川又さんはエンジニアとしても凄腕ですし、部長という立場で組織としてどう動いていくべきかとか、それを進めていく上で何が論点になりそうかというのを広い視野で整備して、取締役や上層部に広げ、下にも咀嚼して伝えられる先輩です。自分も早くその域まで到達したい。超えるのは難しくても、横並びくらいにはなりたいと思っています。